(元)アイドルヲタクとして定期的に叫びたい。アイドルの恋愛について。

もうなかなかの年だけどいつなのかなーと思いながらここ数年を過ごしてきたが、ようやく乃木坂の白石麻衣が卒業するらしい。

 

現状客観的にみて日本一のアイドルグループの中で長らく中心的存在だったまいやんがついに引退するというインパクトもさることながら、8年間ノースキャンダルということも話題になっているみたいだ。

 

ここでいうノースキャンダルというのをわかりやすく言い換えると、まあ反社会勢力との闇金の授受がスキャンダルになるアイドルというのはあまりいないので要は

「(少なくとも表立っては)8年間恋愛我慢した!えらい!!」

ということなのだろう。

 

 

さて。

個人的にツイッターやリアルで普段から繰り返し言っていることだが、まいやん引退という大きな出来事に便乗して改めてブログの記事にしてまで言いたいことがある。

 

 

「アイドルの恋愛禁止の風潮、もうやめませんか!!!!!」

 

 

実は表立って「恋愛禁止」というルールがファンに見える状態で明文化されているアイドルグループというのはそれほど多くはないのだが、実際のところ恋愛が明るみに出たら謝罪や謹慎をするアイドルが多いし、ヲタクも暗黙のうちにそれを当然と思っているところがあるので、恋愛禁止の規定があろうがなかろうが少なくとも「風潮」は存在するといえる。

(まあファンには発表しないけど事務所との契約なり口頭の指示なりで恋愛禁止を義務付けてるってところが多いのかもね。)

 

あるアイドルのイベントで、「タイプについて語る」みたいな話題を見たことがあった。

 

キラキラした表情で一通り思うところを語った後、我に返ったように慌てて「もちろん想像ですよ」とか「好きなキャラの話ですからね」とか付け加える彼女らを見たとき、ああ、そりゃ恋愛に興味あるだろうに、よっぽど抑圧されてんだな〜というのがひしひしと伝わってきて、ひどくやるせない気持ちになってしまった。

 

 

というか、もしまいやんが19から27までの8年間一度たりとも恋愛してなかったら、ヲタクの皆さんはどう感じるのだろうか。僕からしたらそっちの方がよっぽど怖いのだが。

 

 

また、この風潮の大きな共犯者が週刊誌などのゴシップメディアである。

 

 

ゲス不倫とかいうニュースの時はこぞってもてはやされた某週刊誌が、小室哲也を引退に追い込んだとかで手のひら返しで叩かれていたが、今でも廃刊に追い込まれるどころか、方針を変えるそぶりすら見られないところを見ると、結局その手の低俗なニュースを喜んで見る低俗な読者が一定数いるということだろう。

 

週刊誌のゴシップ記者は知る限り最も卑劣な忌むべき職業であると中学生の時から思っている僕は、そんな気分屋な世間の手のひら返しを冷ややかな目で見つめるばかりであった。

 

 

 

まあ「嫌でも注目される存在であるアイドルが道端だの店だの公共の場でちゅっちゅしてたら、そりゃ話題にもなるし写真撮られてツイッターにあげられるバカもいるだろうな。そこんとこはプロとして自覚持てや」

という論理はわかる。有名税みたいな言葉は嫌いだが現実問題として注目されてしまうのだから自衛しないとどうしようもない。

帽子やマスクまで付けて顔が見えない格好までしたところを、ストーキングしてくる記者にマンションに入ろうとしている一瞬を写真に収められて報じられるというのは、果たしてプロ意識の欠如なのだろうか。

 

 

恋愛禁止の大義名分として、アイドルは夢を売る仕事であるからヲタクの夢を壊してはいけない、というのはよく言われるが、若い女の子を付け回して隙を狙って写真を撮って晒しあげることを生業にしている方々こそが、夢を壊している主犯なのではないかと常々思ってしまう

 

 

アイドルは、可愛い。

可愛い子がいたら、好きになる。

好きな子に彼氏がいたら、悲しい。

そこまでは当然のことだ。高校の大部分をアイドルと結婚しようと思って過ごした僕なので、痛いほどよくわかる。

 

 

 

だが、ヲタクだってよく知っているだろう。

可愛い子には、たいてい彼氏がいる。

これもまた自明の理なのだ。

アイドルは職業である。お金を

ヲタクが買っているのは、CDであり、チケットである。

彼女らが歌う曲であり、彼女らが作るステージであり、彼女らとの束の間の会話である。

彼女らの身体を買っているのでも人生を買っているのでもない。

 

もしどうしてもアイドルの全てを手に入れたいのならば仕方がない。方法はある。

 

彼女の人生を実際に買うといいだろう。人にもよるが、年収9桁や10桁あれば不可能ではないはずだ。

 

 

その覚悟もない、どこにでもいるヲタクが、恋愛なんて許さないぞ!!といくら思っても、まあアイドルにしたって金ヅルは大切だから表向きは彼氏がいないふりをして機嫌をとってくれるかもしれないが、所詮それ以上の何者でもない。ヲタクは肝に銘じておくべきだと考える。

 

 

 

 

 

もっとも、だんだんとそんな古き悪しき伝統に縛られないアイドルも出てきており、喜ばしいことだ。

少し前の話になるがNMBの須藤とかいうアイドルが総選挙の発表の場で結婚宣言をして話題になっていたのは記憶に強く残っているし、最近でいうとBiSHのアイナ・ジ・エンドは恋愛報道が出て認めたし、でんぱ組.incのセンター・古川未鈴は漫画家の男性と結婚した。いずれも現役アイドルの話である。

 

流石に21世紀の恋愛禁止のメッカともいえるだろう48グループの須藤はヲタクやOGから批判的なことを言われていた記憶があるが、あとの2人についてはヲタクたちも悲しみながらも概ねその結婚を祝福していたように記憶している。

 

 

そう。それでいい。そしてそれがいい。

 

いつかは、アイドル界みんな、そうなればいいと願っている。

 

 

 

 

恋愛したアイドルを叩き、恋愛しなかったアイドルを持ち上げるの、やめませんか?

 

アイドルが恋愛したって、まーいーやん。

80歳のおばあちゃんを訪問してiPadを布教していたら働き方改革に脱線したお話

これね、iPadっていうの。これでこうやって、映画が見られたり本が読めたり、こうやって手書きでノート取ったりもできるんだよ。

 

今時の医学生は、勉強にもこれが必需品なんだよ。必要な教科書を授業のたびに全部持ち歩いてたらあまりにも重いから、電子化した教科書をこの端末に入れて使うらしいんだ。おまけにノートもこれで手書きで取れるんだよ。本当にこれ一つで勉強するんだよね。

 

この映画アプリは、たったの月500円で映画見放題だよ。え、古い映画ばっかりなんじゃないかって?いや、そんなことないんだよ。例えば、この映画なんて去年公開されたやつだよ。そうそうよく知ってるね、色々海外で賞をとったやつ。

 

スマホの画面で本を読んだり映画を見るのは疲れるけど、これなら画面が大きいから結構見やすいんだよね。

 

おばあちゃんがこれを手に入れれば、いろんなことができるようになるよ。例えばよく使いそうなのは、ネットで買い物とか。家にいても買い物できるの。便利でしょ。

あとはタクシー呼ぶとかね。そういえば今、東京って流しのタクシー全然走ってないんだよ。スマホで呼ぶのが流行ってきてるからかもね。

 

もう今、ネットで買えないものもできないことも、ほとんどないんだよ。

 

ネットで買えないってなんだろう。今思いつくのは宝くじくらいかなあ。あ、でも馬券は買えるよ笑

(注:あとで調べたら宝くじも買えるようでした。)

 

こういうものの料金の支払い方はって?全部クレジットカードだよ。クレジットカードはわかるよね。使ったことないのか。使った分が一ヶ月後とかに引き落とされるカードだね。もちろんネットでの決済で現金は使えないから、番号を打ち込めば使えるクレジットカードが使われるんだ。

逆に、番号を打ち込んでさえしまえば使えてしまうから、道で落としたときはすぐにカード会社に連絡して止めなきゃいけないんだよ。

 

ネットで買い物をすると、間違えてボタンを押して支払っちゃうのが不安になると思うけど、実際はネットで決済するときは結構繰り返し確認されるから大丈夫だよ。だから身に覚えのない請求ってかなり詐欺の可能性があるから気をつけてね

 

さっき言ったみたいな月々の登録をしたら、辞めたいときは手続きをしないと勝手にお金が引き落とされちゃうから注意しないとね。まあ注意しとけば全然大丈夫だけどね。NHKの集金の方がよっぽど悪どいし。

 

ほら、ちょっと触ってみて。この丸いボタンを押すと電源がつくんだ。で、こうやって指で触って動かすだけ。簡単でしょ。

例えば、ここを押すとネットが開くよ。

簡単でしょ?

 

まだ使いこなせるか不安なの?

 

これを作ったアップルって会社、裏面のリンゴマークで有名なんだけど、この会社っていうのは素人にでも画面を見て簡単に操作できるパソコンを初めて作って、タッチで操作してネットも使える携帯電話=スマートフォンを世界中に流行らせて、で、このiPadってのを作った会社でもあるんだ。

 

要するに、人が簡単に、直感的に操作できる機器を作るのがすごく得意な会社なんだ。だから、このiPadにしたってわざわざ勉強しなくても、使い始めれば操作方法なんてすぐに覚えられると思う。

 

しかも、画面が大きくて見やすいから、むしろおばあちゃんにこそ使いやすいんだよ。

 

 

これの大きな特徴は他にもあってね。

 

おばあちゃんのこのケータイ、買ってきたらもう取扱説明書に書いてある以上のことはできないよね。

 

でもこのiPad、画面のこのちっちゃい一つ一つ、アプリっていうんだけど、これ好きなだけ入れることができて、入れたアプリの数だけ機能が増えてくんだよ。

ちなみにここに金額が書いてあるやつはお金がかかるアプリね。これも、間違えて押しても確認が入るから、気付かず支払っちゃう心配いらないよ。

 

アプリは何万種類も何十万種類も、とても使いきれないくらいある。

例えば、こうやって地図って検索すると、地図のアプリが出てくるんだね。欲しい機能があったらその時にどんどん追加できるんだよ。

 

 

ところでこういうアプリたち、アップルが作ってるわけではないんだよね。

世界にはアプリを作る専門の会社とか、個人とかがいっぱいいて、その人たちが日々新しいアプリを作ってここに載せてるんだよ。

 

アプリの中には世界中で何億人に使われてるようなのもあって、そういうのを作って大金持ちになった人たちも何人もいるんだよ。夢があるよね。

 

 

でもこのアプリ、作るのは結構簡単なんだよ。

作り方をちょっと勉強すれば僕でもすぐ作れるんだから。

 

もちろん、ただ作るのと流行らせてお金を稼ぐのには大きな隔たりがあるけどね。

 

小説とかに似てるかもね。小説だってただ書くだけなら極論をいえば読み書き能力さえあればできるけど、実際に小説を書いている人は限られているし、その中で売り上げを出している人は一握りしかいない。

 

こういうところには特にはっきり出ている気がするけど、ネットが盛んになって若くしてお金を稼ぐハードルがぐっと下がったよね。せーので会社に入って下積みから始めるのが当たり前だった昔と比べたら、今はネットに動画作ってあげたり、アプリ作ってあげたりして稼げるんだから。20代の億万長者なんて世界にはごまんといるんだってさ。

 

問題を解く能力は機械やAIがどんどん肩代わりするから、その分これからは自分で考えて問題を発見する能力が必要になってくるから伸ばせ、っていうのは僕ら若い世代に向かって最近よく言われることなんだ。これはどの業界でも例外じゃなくて、多分医者もそうなっていくんだろうなあ。現に、今だって画像を機械に読み込ませて病変を見つけさせるみたいな研究は盛んに行われているから、その専門の医者は将来仕事がなくなるんじゃないかみたいなことはよく聞くし。

自主的に本を読んだり勉強したりして積極的に新しい知識を得る、というのは今までも医者の世界で当たり前だったけど、将来は新しい知識を得るのみならず、自ら新しい世界を切り開く、くらいの気概が、それもあらゆる分野の職業で優れた働き手の条件になっていくのかな。

 

そういえば働き方改革っていう言葉が最近流行ってるね。今まで勤勉な日本人は1働くところを2働いて国や産業の成長を成し遂げてきたけど、ここら辺で1まで働けばいい普通の状態に戻そう、というのが基本的な考え方だね。今でも日本人は2働いたり働かせたりするようなところがあるからね、機械が人間の仕事を取って代わるくらいだし、人間は休んでもいいのかもしれない。

 

でもさっきの話に戻ると、当てはまらない人も出てくるかもしれない。仕事外で積極的に知識を得たり考え事をして創造性を高めたりできる人は生産性を上げるようになると、労働量が単純な仕事場での作業時間と比例するという式が成り立たなくなっていくんじゃないかな。つまり、2倍働いて2生み出すという単純な図式ではなくなって、2倍働いて10も100も生み出す人が出てくるっていうことなんだよね。

 

1を生産する人と、10も100も生み出す人の間でどんどん格差が広がっていくかもしれないけど、しょうがないっちゃしょうがない。これは生活に仕事が埋め込まれている人と、仕事に生活が埋め込まれてる人の違いかもね。みんなで並んで工場で作業していた時代とは異なる人それぞれの仕事も価値観があって、それが実現されている証と言えるかもしれない。

 

 

さて、活躍を始める年齢が低年齢化しているのもそうなんだけど、寿命の延びによって活躍を続ける年齢が高年齢化しているというのもあるかもしれない。

 

昭和だったら、20代で就職して下積み、4,50代で脂が乗って60代で引退、死を待つという人生が一般的だったかもしれないけど、今は、10代で稼ぎ始めて、2,30代で稼いで、4,50代で稼いで、60,70,80で稼いで、90でも稼ぐなんていうことも全く夢じゃないんだよ。

 

まあおばあちゃんにこれから億万長者になれとは言わないけど、まだまだ新しいことに挑戦できる年齢なんじゃない?iPadとか、ね。

 

僕が生まれた2000年から今年で20年。このスマートフォンタブレットっていうのは、この20年で生み出された中で一番の発明なんだよ。そんなものを使わずにいるなんて、もったいなくない?

 

え、どうせもうすぐ死ぬからいいって?確かに、ちょうど明日死ぬんだったらそれでいいかもしれないけど、これから1ヶ月かも半年かも、1年かも10年かもわからないし、そのくらい生きるんだったらやっぱりこれを知らずに死ぬのは勿体無いよ。

 

 

それに今だったらまだ困らないかもしれないけど、これからインターネットっていうのは、さらに生活の全てにおいて広がっていくんだよ。もう国民全員がインターネットを使えて、納税とか投票までインターネットでやっちゃう国だってあるんだから。

 

もう、勉強するとかしないとかいう問題じゃなくて、言葉みたいなものなんじゃないかな。もしいきなり一人で外国にほうり出されたら、得意だろうが不得意だろうが、なんとかしてその国の言葉覚えるでしょ?

 

 

(ここで寿司の出前が届く)

【再履】小学一年生の国語

昼休み中、徒然なるままに考えたこと

 

スカートを身につけることは、「履く」と言います。

ズボンも同様です。

 

一方シャツや上着は「着る」と言います。

 

そもそも一般的に服は「着る」ものですね

 

なるほど、下半身のものは例外的に「履く」というわけですか

 

ustedes son guapos👦👦👦

ustedes son guapas👩👩👩

ustedes son guapos👦👩👩

とか、優性遺伝みたいなもんですね

 

靴も靴下も「履く」ので、腰より下なら「履く」ということなのでしょう

 

さて、その例外を除くと「着る」ということでいいのでしょうか。

 

しかし、マスクもピアスも「付ける」と言います。首から上も例外なんですね。

 

ネックレスも「付ける」ので首以上と言ったほうがいいでしょうか。

 

マフラーは、、、「巻く」

……ここの違いはもはやよくわかりません。

 

 

同じ首以上でも、帽子もカツラも「被る」

「首以上(狭義の)頭未満」というさらに厳しい条件が必要です。

 

(狭義の頭とは、頭部ではなく「頭を打つ」とかの脳があるあたりのイメージです)

 

しかし、それすらも例外があり、メガネもサングラスも「かける」

 

それなら、「首以上頭未満(目を除く)」は「付ける」?

 

 

しかしそんな無理矢理な条件を嘲笑うかのように、コンタクトは「付ける」

ああああああああああああああああああああああああああああ

 

 

腕で言うと、時計は「はめる」「巻く」のどっちもあります。「付ける」も言わなくはない…?

 

ブレスレットやミサンガなんかも「付ける」でしょうか。「巻く」もあるかもしれません。

 

手袋は「はめる」「付ける」…わけが分からなくなってきました。

 

 

 

とりあえず、頭や腕など突起物に着用するものは原則としては「付ける」なのかもしれません。

 

そういえば、キャミソールは「着る」なのにブラは「付ける」ですね。

うーーん……まあ突起物といえば突起物……

 

多分「付ける」が使われるのは、突起物どうこうというより、着用するものの中でサブ的な位置づけがあるからでしょう。

 

着る・履くが使われる

パンツ、肌着、靴、靴下

と、付ける等が使われる

ブラ、アクセ、メガネ

には越えられないかべがあるんでしょう。靴下は上のヒエラルキーなんですね…

 

ブラの話を引っ張って申し訳ないですが、ブラは「付ける」なのにビキニは「着る」をもらえてるんですね。

 

まあ上下セットな分2倍強いので当然といえば当然です。

それに下着で外を歩いたら変態ですけど水着ならまだセーフですもんね

 

最後に系統分類樹形図でも書いてまとめようと思ってたんですが、めんどくさいのでやめます。やりたかったらこれまでの文章を参照しつつ勝手にやって下さい。

 

 

おやすみなさい

ゴキブリメンタル

ぼっち耐性のステータスがカンストしている僕のメンタルは、以下の条件によって、幼稚園〜小学校の時に概ね育まれていたように思う。

 

 

 

・生来のヲタク気質、没頭気質

・海外暮らしから帰国して幼稚園に入ったので、「自分は周りと違う育ち方をしてきた人間だ」というのが当たり前の意識としてインプットされていた

・(多分)精神年齢が早熟で話の合う子が少なかった

・中学受験をきっかけに放課後に同級生と遊ばなくなり、小学校内で友達が減った

・当時読んでいた本の影響で、「卍周りを気にしない孤高の存在カッケー卍卍」という思想に目覚めたこと

・自己肯定感が無駄に高いので、友達がいなくても自分で自分を愛せるので友達を増やそうとしない

 

一度そうなると、

ぼっち耐性がつく→1人でいることを厭わなくなる→さらにぼっち耐性が強化される

という無限ループに陥りることでぼっち耐性は強化されていく一方である。

 

ぼっち耐性があること自体は全く困らないどころか喜ばしいことではあるのだが、それが行き過ぎると人から嫌われることにさほど抵抗がなくなってしまうのは否めない。

 

 

ここ数日、駒場祭などもあり、ためらいなくほうぼうからドン引きされてもおかしくないような言動を撒き散らしていていることを自覚したことがきっかけで、嫌う嫌われるということについて思索を巡らせるに至り、このページが誕生した。

 

 

 

 

2ヶ月放置してきたのに重い腰を上げてまでわざわざ書きたかった結論が何かと言うと、嫌われるより嫌う方がはるかにキツイ、ということだ。

 

 

 

 

 

 

はっきり言って中高は(僕から見ると)お花畑だったので、嫌ったり嫌われたりする機会自体あまりなく、こんなことを考えることもなく、「人のこと嫌いとかいうの不合理だしアホじゃね?」程度にしか思っていなかった。

 

 

大学に入ってから、多分どちらの機会も少なからず発生し、嫌うということについて考えざるを得なくなった。まあ嫌われることに無頓着なのは元からなのだが、嫌うことの大変さはつくづくと感じた。

 

さて、嫌いな人がいると、そいつが話しかけてきたり、もしくはそいつが視界に入ってきたり、さらに行くとそいつがこの世に存在しているということに対して不快な気持ちになって飯が不味くなることになる。

凄まじいコストだ。得るものが無さすぎる。

 

 

それに対して、人から一方的に嫌われていたとしても、自分はその相手のことをなにも悪く思っていない風に(実際そうなので)あくまで普通に接すればいい。相手は勝手にさぞかし不快な気持ちになるのだろうが、自分にとっては痛くもかゆくもない。

嫌われた結果嫌がらせを受けたり危害を加えられたりするのは困るが、もうこの年齢になればよっぽど嫌われていてもそこまであからさまなことをしてくる人はまずいないし、もしいたとしたらそんなことをしたほうがドン引きされるだろう。

 

嫌われたらその相手からの親切な行いは期待できないかもしれないが、まあそれは自分がやりたいことをやれないデメリットと天秤にかければいい。それで後悔しないならまあ嫌われてもしょうがないんじゃないだろうか。

僕は「9割の人間から嫌われていても、好きでいてくれる残り1割がいれば楽しく生きていける」というのをモットーにして生きています。

 

 

まあ要するに、「人のこと嫌いとかいうの不合理だしアホじゃね?」という結論に戻ってくるのだが。

 

 

 

性格が合わない相手は、マジで嫌いになる前に近寄らないほうがいい。まだまだクソ長い大学生活を送る上では大事なライフハックとして心に留めておこう。

 

 

 

 

こーーんな長々と書いてきたけど、結局言いたいことはいたってシンプル

 

クラスのパーカーを買わなかったり集合に遅れたり、ツイッターで某企画を叩いたり揶揄したりしても、僕を嫌うことにはあなた方にデメリットしかないから、嫌わないでね!仲良く生きましょうや!

徒然草

渋谷からの帰り道を歩きながら、徒然なるままにスマホの音声入力で書いている

 

 

すれ違う人もいないこの時間だからできることだけど、それにしてもiPhoneの音声入力は凄いなぁ。

 

喋っているだけで変換までされて勝手に文字が打ち込まれて訂正する必要もほとんどない

ちなみに空気を読んでいい感じの句読点を打ってくれる機能は無いが、口で「てん」とか「まる」とか言えば問題なく打ち込むことができる。

 

 

というのを打っていて気づいたのだが、

 

てんとかまるとか

 

と打とうとしたら

 

、とか。とか

 

と打ち込まれてしまった。

 

 

そこは空気を読んでほしいところだが、句読点を打ち込まなくていいありがたさを考えれば、それくらいの訂正の手間はしょうがないだろう。

 

あと改行もできない。

って打とうとしたら

 

あと

もできない

 

って打たれた。

要するに改行もできるっぽい。新発見。iPhone天才。

てかこの辺の文章地の文と、トークのテーマとしての言わば引用文と、地の文のつもりが結局引用文になったのと、ごっちゃになってて難しいですね。頑張って読んでほしい。

 

 

ちなみに「削除」も試したが、削除はできないようだ。「」()は音声入力で行ける。

 

 

 

そういえばもう数分でappleの新作発表か。これが読まれてる頃にはもう既に発表されて話題になってるかもしれない。 iPhone出るのかな

 

iPhone Xの後継機だけど、「11」ではない気がするなぁ。Adobeとかもだったけど番号の羅列にダサさを覚える頃なんじゃないですかね。てか、じゃなかったら前のやつもiPhone 9になってるはずだしね

 

iPhone Neo とかそんな感じじゃないですか?

 

 

 

 

 

いやダサすぎワロタ

 

 

 

 

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さっき渋谷で0時30分に解散して、本の話題が出たので本屋に行きたくなったが、さすがにこの時間に空いている本屋は無いだろうと思ったら、なんと渋谷スクランブル交差点のTSUTAYA は午前2時まで開いていた。

 

そこまで大きい本屋ではなかったので(てかフロアのほとんどはCD、DVD関連だし)、そこまで期待せずに言ったら、本命は見つからなかったが2番手の本は置いてあった。

 

 

どうしても欲しいわけではなかったが、わざわざ午前1時に本屋まで行ってであったので、何かの縁だと思って買うことにした。

 

そういえば大学に入って本の話をしたの初めてかもしれない。

というか真面目というかなんというか実のある話自体、大学に入ってから、さらに言えば人生でも数えるほどしかしてないのか。

 

まぁそんな中で照れずに真面目な話をする場として、このブログの意義があるのかもしれない。

 

 

そういえばこのiPhone君、まぁ、とか、なぁ、とか入力するときに「あ」を小文字で打つ癖があるらしい。

 

あ、ちなみに自分でやっといてなんだけど、ぁぃぅぇぉとかの正しい名称は小文字じゃなくて捨て仮名です。小文字はアルファベットのスモールレターの方ですね。

 

 

あと、ちなみに誤用関連でこれをいうのはもう10^2回目くらいなんだけど、「撃沈」はアホみたいに誤用される機会が多い。(何なら大昔のもう消したブログの記事にもこの指摘書いてたかも)

 

「あ〜、テスト撃沈した〜〜〜〜」

 

という使い方は間違っている。文脈を考えないと絶対に間違っているとしたら言い切れないが、大抵間違っている。

 

 

撃沈というのは海軍で使われた用語なのだが、「撃沈」という用語は敵の艦艇を「撃ち沈める」という意味で、対象は敵の軍艦になる。

 

 

つまり、「テスト撃沈した〜」というと、「テスト超簡単だったな〜沈めてやったぜ〜」という意味になってしまう。

 

 

 

それを意図して使っているのなら何も間違ってはいないが、どうせ十中八九、撃沈という言葉を

「沈ってことは沈むんでしょ?まあ、ゲキってついてるとなんか激しそうだしめっちゃ沈んでる感じかな〜〜」

という浅はかな思考をして、「テストが難しくて俺沈んだわ〜」

という意味で使っているのだろう。

 

 

 

誤解を招きたくないのなら、そして日本語を正しく使いたいのなら、テストの出来が芳しくなかった時はぜひ「テスト沈没した〜〜」と言って欲しい。

 

 

 

 

ちなみに同じく海軍用語である「轟沈」は「瞬時に沈める」という意味なのだが、(旧海軍の定義では1分未満で沈めることらしい) 辞典によるとこちらの方は「沈む」という意味でも使えるらしい。

 

もし激しめなニュアンスを出したいのなら、もしくはテスト開始1分以内に負けを悟ったのなら、「テスト轟沈した〜〜〜」と言ってみるといいだろう。

 

 

 

てか徒然なるままに話を進めてるから文頭が「ちなみに」とか「そういえば」とかばっかだね。まあ徒然なので許してください。

 

 

 

 

 

とか言ってたら、appleの発表会が始まった。オープニングムービーがアホみたいにかっこいい。

意識高い系がアップル製品に憧れるのもこういうところにあるのか。

 

 

そして進行をするCEOのティムクックがかっこいい。

一個前の記事で「すぐ脳死で日本を海外を比べて貶す奴はクソ」みたいなことを書いた気がするが、それでもなおおっさんじいさんにしか見えない日本の(伝統的な)経営者と比べずにはいられない。

 

 

やっぱりどんな仕事をするにしろかっこいいと思われて仕事したいなあ。

 

一世一代のクソリプ大合戦

第二次世界大戦後、日本を占領していたGHQは色々な日本の文化を、難癖をつけて根絶しようとしたのだが、そのうち一つに将棋が入っているらしい。

 

この時の、将棋を潰そうとしたGHQと将棋を守ろうとした棋士がバトったエピソードを中学生くらいの時に知ったのだが、なかなか気に入っているので記事にする。

 

 

 

GHQは将棋を潰そうとしたが、下手に攻撃しても「欧米人もチェスやってんじゃん」と言われかねない。

 

そこで、GHQも考えた。

 

 

「将棋の持ち駒の再利用は捕虜の虐待なので野蛮だからやめろ」

 

確かに、チャトランガにも象棋にもチェスにもなくて将棋にだけあるもの。持ち駒。

 

しかし、いくら将棋を潰したいからと言ってこれは言いがかりすぎないだろうか。「ハサミに石を挟むなんて危ないからじゃんけんは禁止だ」とでもいうのだろうか

 

 

 

 

 

その言いがかりに対して、その交渉相手だった日本の升田幸三はこう返した。

「将棋は人材を適材適所で活用する合理的なゲームである。捕虜を殺害するチェスこそ捕虜虐待で野蛮だ」

と返し、さらに

「クイーンを犠牲にしてでもキングを守るのはあなた方のいう男女平等に反するのではないか」

とたたみかけてやり込め、将棋を救ったらしい。

 

 

さすがである。これを初めて見た中学生の僕は思わず唸ってしまった。

 

相手の言ってきたことをうまく利用してひねったとも言えるし、相手と同じレベルのクソリプを二倍にして返しているとも考えられる。

 

 

 

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さて、今海外からこんな風に理不尽にケンカを売られた時、こうやって、卑屈にも感情的にもならずに堂々と渡り合って相手をやり込められるような人間が日本にどれだけいるのだろうか。

 

 

 

 

 

 何かあるとすぐ

「これだから日本人って〇〇〇〇〜〜」

「日本人は〇〇〇〇だからダメだよな〜〜〜」

「海外だったら〇〇〜〜〜」

 

って言いたがる奴

 

 

「政府ガ〜〜〜〜」「野党ガ〜〜〜〜」

 

って自分が嫌いな側を脳死で批判する奴

 

 

 

 

日本の未来はwowwowwowwowですねー

 

あへあへあへあへあへ

 

 

 

 

てか、このままほっとくと数十年後とかに日本どうしようもなくなって革命でも起きちゃうんじゃないですかね

 

お前が数十年間選挙も行かず意見も言わなかったせいだぞって感じですけど。まあ暴徒にそんなこと言っても袋叩きにあうのがオチだから言わないのが賢明だけどね

 

 

 

僕は今の状態が続くと絶対得する側なのでこのまま甘い汁を吸い続けたいなあという気持ち。

起きないでくれ革命

 

 さて、今の内に将来の逃亡先の選定でもしておくか

はじめてのボートレース

※この記事はフィクションです。未成年の舟券購入は法律で禁止されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

舟券というのは、競艇の券で、競馬で言うところの馬券に当たる。

 

さて、未成年の舟券購入禁止というのはモーターボート競争法という法律に定められているのだが、

1951年に成立したこの法律は、Wikipediaによると参議院で否決された法律が衆議院の2/3以上の賛成で再可決された最初の例らしい。

 

 

 

 

 

 

 

唐突に始まったが、今回は競艇、すなわちボートレースの話である。

 

 

競艇は、競馬、競輪と並んで日本で合法的にできる唯一のギャンブルだ(ということに表向きはなっている)

 

 

有名な話だが、法的にパチンコ・スロットは「遊戯」であって「賭博」ではない。あくまで、玉を転がして穴に入れることを楽しむ遊びというわけだ。

なのでパチンコ屋の店内には「換金所」はなく、その代わりに「景品交換所」があって、出玉をお菓子やタバコなどの類、あるいはなぜか用途不明の金地金なんかに交換してもらえ、しかもなぜかその地金を買い取る業者がパチンコ屋付近には必ずあるらしい。

 

不思議な話であるが、とにかくパチンコは賭博ではないのだ。

 

 

このような建前があるため、公営ギャンブルは未成年禁止である一方、パチンコは18歳未満禁止である。「賭博」ではないから18、19歳もやっていいらしい。

 

合法ギャンブルはダメで黒に近いグレーのパチンコはOKという、なんとも不思議な話である。

 

 

 

 

 

 

ここまで賭博(及び賭博のようで賭博ではない少し賭博っぽい遊戯)の話をしてきたが、「ギャンブルで稼げないなんてちょっと考えれば分かるだろ、アホだなー」

という感想を抱いた方もいるかもしれない。

アホ呼ばわりくらいなら日常的に受けているので今更構わないが、ギャンブルを目の仇にしている人から破産者、犯罪者予備軍のクズ呼ばわりすらされかねないので一応言い分を言っておくと、

 

もちろん稼ぐためにやっているわけではないし、スることがあるのもわかっている。

稼ぐためではなく、予想し、エキサイトしてレースをみて、その上で当たったらご褒美がもらえるというつもりでやっている。だから損を取り返すためにエスカレートして文無しになることもない。

 

 

返金はあくまでサブで、金のかかったレースを固唾を飲んで見守るドキドキ感のためにやっているのだ。

そういう意味では、あのクソつまらないゲームをして白々しい建前を守り続ける自称"遊戯"なんかよりよっぽどエンターテインメントだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

長々と書いてきたが、

百聞は一見に如かず

 

何事も実際に体験してみるのが一番である。

 

 

 

 

 

というわけで、先日平和島ボートレース場に行ってみた。

(というか、当然ながら行ってきたからこんな記事を書き始めたわけだが…)

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結論から言うと、ボートレースは素晴らしかった!!!!

 

また何度でもボートレース場に足を運びたいと思ったし、友達を連れていきたいと思った。

この記事を読んでいる方々にも夏休みのイベントとしてぜひ友達や恋人を連れて行ってもらいたいと思ったので、ボートレースの素晴らしさをレポして知らしめていこうと思う

 

 

 

 

 

 

 

最寄りの平和島駅には、品川から京急で15分ほどで着く。

12時に起きた僕は、平和島で朝食兼昼食を食べてから、駅と会場をつなぐ無料のシャトルバスにのって会場に向かった。

 

駅からは数分で平和島ボートレース場に着くのだが、驚いたことに平和島ボートレース場周辺、ドンキや映画館、ゲーセンにパチンコなどの入っているバカでかいレジャー施設があった。

どうせ海沿いにボートレース場がポツーンと建っていてその周りは寂れてるんじゃないかなーと想像していた僕にとっては驚きだった。

映画は4DXで、パッと見5本か10本くらい同時上映されていそうなしっかりしたシネコンだったし、ドンキも数階にわたって入っていた。正直、これだけで長野県最大(諸説あり)の駅、長野駅の駅前よりは栄えていそうな印象を受けた。

 

そんなレジャー施設を横に従えて、平和島ボートレース場はあった。

外観の写真などは全くとっていないので、各自ググってほしい。

 

 

初めてボートレース場を前にした僕は完全にお上りさんだったが、生き馬の目を抜くような賭博場でオドオドしたところを見せては負けだと思い、余裕ぶって堂々と歩きながら、目だけはキョロキョロ入場券を買う場所を探していたが、探せど探せど見つからない。そんなことをしているうちに入場口(自動改札みたいなのが並んでいる)の前について、気づいた。

 

 

 

自動改札にコイン穴が空いており、そこに100円玉を直接入れる仕組みになっていたのだ。

 

 

いや、現金直接入れるんかいっ

てか入場料100円って安っ

 

大抵のスポーツは入場料に最低でも千円や二千円くらいとられるけど、入場料100円で最大12レース見られるなんて、えげつなくコスパがいい。仮に競艇がスポーツとして大好きで、お金はかけなくても見ているだけで楽しいんです、みたいな人がいた場合、めちゃくちゃ安いから最高でしょうなあ

 

 

なお入場といえば、

 

競艇は未成年以下は賭けに参加できないが、ボートレース場に入ってレースをみるだけなら年齢問わず大丈夫らしい。

 

 

来る前は絶対薄汚れたおっさんやじいさんしかいないと思っていたが、案外カップルや子連れのファミリーなんてのも結構いて、軽くカルチャーショックだった。確かにカップルでボートレース、みたいな広告が打たれてたような気もするが、本当にそんなことになっているとは思っても見なかった。

 

僕なら自分のような人間には育って欲しくないので、子供は連れてこないだろうが。

 

 

 

 

 

 

ここまで書いてきて気づいた。まだようやくボートレース場に入ってきたところなのに、この記事長い。もう疲れた。

 

よって実際舟券を買うところからは後編に回そうと思う。

 

※この記事はフィクションです。未成年の舟券購入は法律で禁止されています。

 

 

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